実は考察会を始めたのには深い理由があります
エドモン考察会「マチネの後に付き合って」に先立ち、
ジョセフから考察会を始めたのには理由があります。
それは演者の僕も観客の皆さんと一緒に両者が演劇を楽しむ角度を広げていきたいと思ったからです。
演劇って世界的には古代ギリシャのギリシャ悲劇とか、もっと古くからあると思うんですけど、人や時代によってもいろんな意味を持つと思っていて。
精神病患者のリハビリとしてだったり、はたまた教育の顔もあるし、ショーとしてみんなに楽しんでもらったり、人間の素晴らしさや愚かさや「生きる」という行為を見つめたり、あらゆる可能性が劇場という空間にはあって、もちろん自由だからどんな楽しみ方でもいいんだけど、人の楽しみ方や解釈を共有するだけでも、自分とは違った意見が入ってきてそれだけでも豊かになっていくと僕は確信してるんです。
人の意見を聞き入れるということは、同時に自分を見つめ直すということだと思うし、それって結局は「禅」と同じことだと思うんです。
だからこそ同じ作品を見たもの同士が、集まって語り合うってもうそれだけでなんていうか脳と心にとっての完全栄養食みたいなもんだと私は思うわけですよ!(健全な相手の意見を尊重し合うディスカッションに限る)
そこで自分ができることといえば、演者としてどう作ってきたのか、板の上に立つ人間としてこの作品をどう捉えているのか、みんなに共有することは大事なことなんじゃないかなと。
しかも動画ではなくみんなと同じ土俵で会話することが!
そしてそれ以上に観客の皆線の解釈や感想を聞くことは僕にとってとても大切な自分を成長させるスパイスなのではと。
僕は自分の出ている芝居を観客席から観ることは絶対に叶わないわけだし。
そしてそんなコミュニティを大きくしていった先に、演劇を多種多様に深くあらゆる視座を持つことが微生物並みの微力ながら、少なくとも自分の周りだけでもより豊かに演劇を楽しめるようになるのではないかと。
ここで言っているのは、自分1人で吟味する人を否定しているわけでは一切ありません。
どんな楽しみ方をするのも自由ですが、僕自身は人と共有した方が自分にない角度を知れるから好きだというだけです。
2018年1月にスペインのマドリードでとある小劇場の芝居を見ました。
1階は広いバーカウンターがある、お酒が飲めるスペース。開演時間になり鐘がなると地下に降り、カラオケボックスのように扉が10個くらいあるフロアに出る。自分のチケットに書いてある部屋に入る。立っても座ってもいいが、せいぜい10人から15人入るのが限界の部屋。ワイングラス片手にみんな芝居が始まるのを待つ。
時間になり音楽が大きくなり暗転すると、2人芝居が始まる。
30分くらいの芝居。観客は大いに笑い、芝居が終わると上のバーで感想をみんなで語り合う。
僕の中ではこんな幸せな空間はないと思った。
食と演劇が結びつき、市民の生活の一部になっている。
その劇場には常に200人から300人が表通りまで並んでいた。
Micro teatoro
✳︎google chromeで翻訳して見てください。
こんな場所をいつか日本に作りたい!!
それが今の1つの夢です!
そのために考察会も大きくしていきたいし、
何よりも自分が俳優としてもっともっと大きくなるために全力で人生かけていきたいと思います。
なのでみんな、応援よろしくお願いします!
みんなで作るよ!
7/30、8/5はエドモン考察会
まず第一回目!みんなで考察会楽しもう!